櫻井美沙子です。
 
ビジネスとは関係ない話だけど
なんとなく、書きたいことが溢れてきたので書きます。。
 
 
 
 
なんか、「妊活」というか「不妊治療」とかで
苦しんでいる時の乗り越え方として
「人と比べなくなる」っていうのがあると思うのだけど
合っているようでなんだか少し違和感があったのです。
(「私は私なんだと人と比べなくなって楽になった」とか)
 
 
なんか、そんな
「他人と比べてなんちゃら」とか
そんな小さいことで悩んでるわけじゃないんじゃないかと
思ってしまったのです。
 
 
私の勝手な考え。です。が・・・
 
 
 
 
多分だけど。
「不妊状態」が苦しいのは
 
 
「誰かと比べて」苦しいのじゃなくて
(もちろん、そういう時期もあるし、そう感じることも事実だと思う)
 
「自分の中の“思っていた自分”」と違うから
やりきれなくて
受け入れられなくて
 
とても苦しいんだと思う。
 
 
 
その思っていた自分っていうのは
 
女の子だったら小さい小さい頃から
「ぽぽちゃん」とか「メルちゃん」とか
そういった「お人形遊び」で
当たり前のように「お母さんになる」という「前提」があって、
 
 
もちろん、全員ではないけれど
ある意味その母性は本能にも近くて
 
私も玩具メーカーに勤めていたので
色々な子供を見てきたけど
 
実際に、女の子は教えてもらわなくても
大抵勝手におままごと遊び始めるし、
そういうおもちゃを与えると勝手にお世話遊びするけど、
男の子はそんなにしない。
人形は、怪獣ごっこに使ったりする感じ。笑
 
 
 
だから、そうやって30年とか生きてきた人にとって
「当たり前の自分」が
「自分じゃなかった」という衝撃が大きくて
そのギャップに苦しむんだと思う。
 
 
 
「他の誰か」じゃなくて
「当たり前の自分」と比べて
辛いんだと思う。
 
 
なんでこんなことを思うのかと思うと
 
私は、30歳の時に卵巣嚢腫と子宮頸がんになって
ほぼ1ヶ月違いで発覚して
 
なんかもう頭がパニックになって
 
本読んだり、ネット検索すると
「不妊の大きな原因」と書いてて
 
勝手に
「もう子供は産めないかもしれない」なんて思い始めて
 
それは「私の(当たり前の)人生」を否定された気がして
 
「生きてる意味ないんじゃ」って
「生きながら死んでるんじゃ」って
本気で思っちゃって
 
すごく苦しくて
 
赤ちゃんが出ているCMを見ても
近所で赤ちゃんを見かけても
涙が出てきて
 
「私には味わえない未来なんだな」って悲しくて
 
(いわゆる、不妊治療でうまくいかない人と同じ現象だと思う)
 
 
私には、「私」であることすら権利がないんじゃ。
って、思ってしまったことがあります。
 
 
もちろん、今となっては
卵巣嚢腫も子宮頸がんも
不妊の原因の一つだけど、可能性がゼロになるようなものではない
と、思っています。
 
けれども、
なんだろ。
 
 
本当に辛かった。
 
 
もちろん
 
「みんなは病気じゃなくていいな」
って人と比べることもなくはないかもしれないけれど
それはほとんどなくて
 
 
どちらかというと
 
「私は私じゃなかった」感
 
そういう絶望感が大きかったです。
 
 
 
だから、何が言いたいのかっていうと。
 
 
「不妊」の状態が
苦しいのは
 
 
すごく当たり前で
 
 
 
 
子供の頃から信じていた「自分」が
全然違ったという
衝撃に傷ついているわけだから
 
 
 
思いっきり
悲しい気持ちでいればいいと思う。
 
 
それがすぎると
「新しい自分」も受け入れられる時が来るから。
 
 
 
間違っても
本人のせいじゃないし
「誰か」と比べて悲しいなんてそんな
小さいことで悩んでいるわけじゃないと思う。
 
 
だから、
たくさん泣けばいい。
たくさん愚痴ればいい。
 
荒れたっていい。
 
メソメソしてもいい。
 
 
そう思うのです。
 
 
 
なんか、それが伝えたくて。
 
 
 
書いてみました。
 
 
 
付け加えると。。
 
もちろん、「先の見えない」状態とかっていうのも苦しみの大きな原因だと思います。
けど、大前提。最初の最初の傷はきっとこういうことなのかな?って思いました。