未来はどこにありますか?
未来でしょ。
私のずーっと前にいつもいますよ。
と思っていたのに。

先日。
友達にこう聞いたんです。
「聖書には、
『未来っていうのは背中からドアを開けて入っていくようなもんだ』
って書いてあるんだってよ」
ええええええええええっ!
怖いっ。
怖すぎるっ。
未来は自分の前に常にいて、自分が向かっていくものだと思ってたのに。
違うのか・・・。
結構、衝撃。
え?
そんなでもない?
でも。
「未来へ自分が向かう」

「未来が(勝手に)やって来るのか」
案外
ヒトによって
違うのかな。
確かに。
未来は見えない。
でも。
背中からやって来る
受身の未来じゃなくて
やっぱり。
自分の。自分なりの未来を。
前に向かって
歩いている。

思いたいデス。

そして。
聖書のこと。
あまりわかってないので
ちょっと調べたら
こういうことらしいです。
(間違っていたらごめんなさい・・・。)
この「未来が背中から~」というのは
旧約聖書全体(特に申命記という巻)によく出ている
特徴的な時間概念で
『過去』を目の前に置いて、『未来』を背中の方側におく発想は
古代人に広く見られる考え方のようです。
この考え方でいくと。つまり。
『未来』に対して
すでに起こった『過去』は
何かを学び取る(=誰が導いてくれたかを知る)ことが可能なわけで。
導き手を信じること=『未来』を待ち受けること
であり
だから、旧約聖書は
『未来』を占いなどで予告すること=導き手を信じないこと
と捉え、それを一切禁止したそうです。
ふむふむ。
納得。
そういう意味だったのね。
じゃあ。
私は、
過去から何かを学びつつ
今の自分を導いてくれた皆に感謝しつつ
未来に向かってあるいて行くわぁ~!!!!
わかりづらいお話でしたね・・・(;´▽`A“